芝端 泰生様 / 魚惣菜専門店 株式会社芝武
スーツの概要経営者としての役割を果たすため、上品なARISTONの生地で仕立てたスーツを身に着け、キッチリとした雰囲気を演出しつつ、私の個性が映える赤をアクセントにしたボタンや裏地を愉しんでいます。
受注経緯
名刺交換をした際に、独得な生地感のスーツを装っておられ、次に仕立てるなら私の希望である勢いのある雰囲気を仕立ててくれると感じた為、仕立てをお願いしました。
松一 Note
経験の中には、その方の強みが必ずあり、その方らしい魅力が人を惹きつけ、人も商品も、それぞれの強みを活かしていく事が、事業の発展に繋がっていくんだなと改めて感じました。
兵庫・大阪・東京に出店している、焼き魚専門の中食・惣菜に特化した会社を経営されてる芝端さま。30年事業を続けられ、現在、直営 26店舗、 FC 25店舗と展開されています。
創業期_startup
スーパーマーケットの中で、ウナギの卸業をしていましたが、海外からのウナギの輸入品が増え、業績が悪化。店舗が閉鎖される前に、うなぎ屋ののれんを借りて、自ら魚の総菜屋を始めることにしました。
「なぜ、魚屋の総菜屋だったのか。」と聞かれることがあります。
16歳の時に家を出て、同じスーパーマーケットで魚の卸をしている先輩の家に入り浸るようになり、先輩と少しでも早く帰りたいがため手伝いをしているうちに、魚のさばき方を自然に覚え、それが魚の総菜屋を始めるきっかけになりました。
しかし、次第にウナギ屋の業績悪化で支払いが遅れ気味になり、お金の面で困るようになっていきました。それでも、集客力のあるスーパーマーケットに自分の店をどうしても出したくて、年に数回しか来ないスーパーマーケットの事業部長が店舗に訪れるたびに、運転手を買って出て、会合や食事会に出る際は、駐車場で待ち、送り迎えをする車の中で積極的にアプローチしました。そんなことを繰り返しているうちに熱意が通じたのでしょうか。
事業部長の心を掴み、スーパーマーケットと直接の取引が出来る状況をつくることができました。
無事に自社のお店を出店することができ、その後も順調に2店舗、3店舗目と出店を重ねることができました。
成長期_growth
3店舗と順調にオープンすることができましたが、突然そのスーパーマーケットが破綻しました。その時1社に依存することの危険性を感じ、現場職人から営業マンへと転身し、他社のスーパーマーケットの営業に取り組むことにしました。
友人から「自分の儲けだけを考えていたら、スーパーには入れない。相手のメリットを考え商談をしなさい。」とアドバイスをもらい、自社の強みや市場環境を初めて考え、先方に営業をに行きました。
当時、総菜は揚げ物が主流でしたが、マンションの増加に伴い、マンションで魚を焼くと匂いが気になる方が多くいること、今後高齢者が増えるので、自社の強みである魚を活かした総菜は需要があることを伝えました。その結果、見事に1店舗を出店することが出来たのです。
お客様の利益を考え、真面目でコツコツと働く性格もあり、口コミで次々と出店の依頼が舞い込みました。社員の目を気にして堅実な装いを心掛け、取引先や初めて会う方には、同じ色でも質の良い生地で仕立てたスーツを着用し、成功している雰囲気を演出しました。そして100店舗出店に向けて動き出すことになりました。
改革期_innovation
各店舗は、飲食店や魚屋で働いていた職人気質の社員が多く、店舗ごとに味や魚の切り方に違いがあり、店舗展開を進めるには統一する必要がありました。職人気質の社員をまとめるのは難しい課題でしたが、運転手を買って出る大胆な性格の私は、全員を集めて、全員が納得するまで何日も意見交換を行い、味や魚の切り方を統一することに成功しました。人手不足ではありましたが、九州地方までの出店を推し進めるある日、スポーツマンのマネジャーから、「人をまとめ切れない。」「店に目が行き届かない。」という相談を受けました。その時、マネジャーが涙を流す姿を見て、自分のやり方がマネジャーにいかに辛い思いをさせていたのかと自責の念を感じると共に、辞められたら困るという気持ちも芽生えました。店舗展開をすすめたいという二つの想いを葛藤しながらも、私は次のような決断をしました。
まず社員が家を購入したり、大学の教育費を支払えるような環境を整えることを目指し、そのために無理に出店した店舗を締めることにしました。100店舗の展開を目指すのではなく、お客様が喜ぶお店を提供し、社員が働きやすい環境を作ることを目指しました。やる気を引き出し、成果を上げられる場所を提供し、強い会社を築いていくことを決意したのです。