水野 敏雄様 / 株式会社テクノタイヨー
スーツの概要ARISTONのシアサッカー生地を使用したこのスーツは、暑い季節にこそ、その魅力を最大限に発揮する一着です。日常での仕事では着ないが、お客様の会社への訪問・来社のお客様のおもてなしには、涼しい印象を与えてくれます。
受注経緯
もう10年以来のお客様で弟さんのスーツも仕立てさせていただきました。今回は暑くないスーツをということでの依頼です。
松一Note
久々に会社に伺い取材をさせていただきましたが、常に清潔感を保たれながら、経営者として次のステップに進むために活動されている印象を受けました。今後も多くのシーンで松一がビジネスの一助になれば幸いです。
堺市で、三つのこころ(思いやりのこころ・誠実なこころ・あきらめないこころ)基点に行動し、金属加工はもちろんのこと、金属加工の後工程としての組み立てを行い、厳正な審査基準が求められる「医療機器製造販売業」を取得されています。
営業_before business succession
大学受験に挑戦したものの失敗し、一浪。しかし、1年間遊び過ぎて、また失敗しました。父親からは『大学に行かず働け』と言われ、ボタン屋で営業マンとして働き始めました。
いつかは長男として家業を継ぐつもりでいたが、弟が先に入社していたこともあり、忙しさの中で時間だけが過ぎていきました。5年が経ち、サラリーマンとしての面白さを感じられず、やりたいことができない現状にモヤモヤしていた時、父から『そろそろ戻ってこないか』と言われ、直ぐに父の会社に入る決心をした。
父の会社に戻り、初めての仕事は、組み立て作業だった。その後は、現場監督、スケジューリングなどもやり、十年間は父親の経営者の横で、会社の全体を聞きながら現場を学んでいきました。そんな時に父親から「社長をやれ」と言われ社長になる事が決まった。今思うと、長男である事と父も弟もエンジニアなので、私が経営者に選らばれたのだと思います。
経営者が私に変わった途端に、営業を任せていた取引先から仕事を減らされ、M&Aの話しがきた。取引先は、営業と製造を自社でしていこうと考えはわかるが、十年間父親の姿を見ていて感じたことは、父親のエンジニアとしてのアイデアを利用されているように感じ、同等の扱いを受けていなかった怒りが込み上げてきた。リーマンショックの影響もあり、売り上げは半分になったが、新規開拓へ舵をきり、営業マン時代に培った経験が、電話帳をみて電話営業と飛び込み営業を続けた。私が0を1にエンジニアの弟が1を2・3とにして業績を上げる事ができた。下請けをしていたこともあり、品質・納期・対応がかみ合い、取引先はドンドン増えたが、働いてくれている方の負担がドンドン増え、退職者が増えていく中、経営を学ぶ決心をした。
改革期_innovation
業績は順調だったので、まずは社風の改善に着手しました。弟も協力してくれたおかげで、私のトップダウンだけでなく、従業員への配慮が行き届き、強い反発もなく進められました。ベトナムに商社を立ち上げたり、社内でマラソンを始めたり、会社が変わり始めた矢先、突然弟が亡くなりました。
兄として、そして経営者として、これから弟と共に会社を良くしていこうと思っていた矢先の出来事でした。エンジニアとしての弟を失い、開発が進まなくなり、採用しても思うようにいかず、ライバル会社に助けてもらいながら案件を進めることができました。何よりも全社員が必死で支えてくれたおかげで、何とかやってこられました。それでも、弟がいないことで社風に課題が生じています。弟のフォローがなくなった今、会社の中期ビジョンを見失いかけていますが、困ったときに手を差し伸べてくれた取引先の助けを糧に、オイルダンパーを軸にみんなで成長していく決意を固めています。